14歳くらいのルナへの おススメ度: ★★★☆☆
読書感想文
表紙には Bonjour Tristesse Françoise Sagan と書いてる。
読みたくなったのは、おなじみ山口路子さんの『彼女たちの20代』の中にサガンがいたから。
「24歳のわたし」
どうしたいか
どうなりたいか
そのためにはどうしたらいいか
色んな人をネットや本の中に探して、こんな風になろう、
こんな風に生きたい (と、少なくとも今はそう思う)
と思えるモデルを見つけ出そうとした。(今もしてる。)
死んだ人でも誰でもよかったから伝記も小学生向けでも手に取った。
そんな風にして、
その一環で、サガンのことを知りたくなった。
そしてサガンが18のときに書いたこのデビュー作を読みたくなった。
どうしてそんなに絶賛されたのか、
サガンはどんな人なのか。
きっとこの小説に如実に表れているはず。
そうして例のごとく図書館で見つかったのですぐ借りたこれは、
まず最初に言うとしたら、
表現が綺麗だと思った。
小説を普段読まないから、サガンの文体(もしくは訳)が特別なのかはわからないけれど、
この話を読み進めている間、
いや、この本を一端閉じて、それから10時間くらい(体感)
自分の見聞き感じること、
思うこと、
「心の声」がサガンの語りになるのだ。
だから、いつもは「(ん?なんだぁ?)」みたいな感覚、感情にも
それを探る目ができてる。
だから、その奥にある情熱的な気持ちや感覚に気づいて
しかもそれがもう滾るようなフレーズになって喉元まで来る。
だから思わずスマホを急いで取って
ボイスレコーダーのアプリでその出てきた文章を録音する。
(気恥ずかしいからまだ聞き直してないけど。)
描写が、
辛抱強くて、感覚的で…。
「言うこと」と「言わないこと」、
両方が話を形作るけど、きっとその両者が秀逸なんだと思う。
言及し忘れてはいけない、ふと浮かぶ考えや感情をちゃんとスッと書いている。
細かいことはいいや。
わたしはこれを読み始めて、
「これをフランス語の原典で読めるようになりたい!」と思った。
きっと美しい、繊細なフランス語。
口語にするには少しまどろっこしかったり、書き言葉チックだったりするかもしれないけど、
『星の王子さま』みたいに、オーディオで流したりしようかななんて。
そう始めは思っていたけれど、
半分を超えるくらいから、
物語全体にかかった、…無力感、翻弄、浮草のような感情、憂鬱、
みたいな、薄ーい感覚が、
大げさに言うと、すこし鬱陶しいような感じがして、
やっぱりこれをオーディオで何度も聞くのはイヤかもなぁ、と思った。
今は読み終えてから4日ほど経っている。
そうすると、今度はクセになるあの文章の生きた感覚が少し恋しくて、
また本を開きたくなってる。
ふとトイレに行ったときとかに、
「悲しみよ こんにちは」の一節と、それを心に思うセシルの頭の中、
記憶を思い出して、
すこし涼しい感覚がする。
サガンにシンパシーを覚えた。でもそれはなつかしい自分を見ているみたいなシンパシーだった。
いや、わたしは正しくはセシル(主人公)になつかしいシンパシーを覚えて、
それを書けたサガンにも、同様かそれ以上のシンパシーを覚えた。
わたしの想像上のサガンが、セシルが生きた未来であるみたいに感じながら、
『彼女たちの20代』の表紙のサガンを見てしまう。
まとめると、
また読みたい!笑
読みたくなっちゃうわ。
フランスの南部、モナコ、どこかで海を見ながらアンニュイに
ボーッと空とヤシの木のことを考えるようなときも、
きっとこの小説を手に取って、読み直して、
感慨深く自分の人生のフェーズの変化
考えや感じ方の変化に気づいたりする。
そんなの、いいな。やりたい~
そのときはフランス語版も読んでたりして。
なんて思うのさ。
最後に、10年前のわたしへのおススメ度だけど、
★★★にしたけれど、
読むのも素敵な、いい刺激になったと思う。
とくにセシルのような、真剣で、熱くて
物憂げで、ときどき深い感情に飲み込まれそうになる、
浅はかな感情にいちいち翻弄されてイラついたり悲しんだりする、
そんな中学生の頃のわたしなら、
きっとより深い共感を見出すかもしれない。
でも「余裕(それこそヴァカンスのような)」、
圧倒的、「時間や心の余裕」がとてもあったとは感じなかったあの頃のわたしが、
最後までこの小説を遠目に、でも没入して
読むかな、と思った。
というより読まないでほしいとすら少し思った。
あっちにも悩まされ、
こっちの方がいいのかな、なんてまた心が浮き沈みし、
「自分」を持ちたいのに、比較や幻想、劣等感でいっぱいのころのわたし(と思ってる)。
この小説にまで煩わされないでほしい…。
そう思った。
でも、それは改めて思うと過小評価かもしれない。
どんな文章も、わたしを悩ませたかもしれないけど、
きっとそれだけわたしを考えさせ、糧になったと思う。
まあ、ほんとのところはどうかしらないけど!
また今度はサガンの二作目、読みたいな。