中高生の頃の日記を読んでいると、
10年くらい経った”今”が、「思っていた」のとちがう、
正確には思い描けてすらいなかったのだけど、
それでも感覚的に想像できていたものではなかったことをとても感じる。
”世界”はまず、広くて優しくておだやかで、急いでいない。
思ったよりも急いでいない。
10年経ったけど、高校生とかの頃より6kgくらい体重は軽い。
当時充満していた頭の中に響く声や圧のようなものは
ほとんどまったく跡形もないし、
そもそもその原因になっていたようなことがすでに達成されていたり、
こだわりがなくなったりしている。
そもそも、それってそんなに思いつめるようなことだった?
大丈夫だよ。
成長してるよ。
いま、毎日どんどん色鮮やかに成長しているのを感じる以上に
「求める」気持ちが速く行ってしまうんだよね。
それは今でもときどきあるようなことだから、
そういうときはようやく、気づくようにしている。
ほんとうにこの数か月で、あらためて習得して戻ってこれるようになってきているようにすら感じるけどね。
誰かの言葉や気持ちが伝染するのは、べつにいい。
でも、それが自分の本当に心底いま求めている野生のリズム、感覚のようなものにすこしでも合わない場合、
たとえ途中まで始めていても、そこからふいと抜けてしまったってかまわないと思う。
続けることで結果的に見えるようになってくるものは確かにあるけれど、
だからといって、つづけることそれ自体に引かれなくていい。
いつだって0地点でいられるように、わたしは訓練したんだと思う。
いま、毎日出てくる言葉は、中学のころのような
胸に何重も彷徨い続けている感覚や感情というよりは、
からっとしたそのときに出てくる言葉や概念で、
それは別にのちに影響があってもいいし、なくてもいい、
でもせっかくだから体の外に出して見れるようにしておきたいようなもの。
経緯はなんであれ、わたしはそうやってできた自分の血肉の小さな分身みたいなものを大好きだし、ときどき(そしていつもどこか潜在的に)誇りに思うから、
そういうことをつづけていきたい。
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