まずずっとなぜか書こうと思っていたことを書く。
わたしが小学生の頃とかその前後の自分に、伝えられたら伝えたいなと思ってきたこと。
好きなことしか聞かなくていいし、読まなくていいし、しなくていい。
好きかどうかわからない、好きじゃないけどそういうのをするとどんな気持ちになるのか知りたいっていうんならいい。
でも自分が納得できない他人の法則を、無理に信じようとしなくていい。
自分が納得できる自分の法則がわかることもあるけど、わからないこともあるからって気にしなくていい。し、気にしてもいい。
わたしの中の真実はもうすでにあるけど、ほかの新たなキラキラする真実をあらたに見つけたり、受け入れたりできたら、それも素敵だなって思うから、”確固とした真実”という幻想に固執しなくていい。
真実は無数にあり、かつ存在しないから。
自分のなかの熱く懐かしい灯を信じたらいいと思う。
見失うのもたのしいと思う。
不安になるのもいいと思う。
だれかが言っていることに、そうだったらイヤだなってちょっとでもモヤっとしたなら、それは自分の真実ではない。つまりそのように、だれかが言ってるようにはならないから、大丈夫だ。
冒頭だけのつもりが、”若年の自分に”という体だからついいろいろ書いてしまった。
忘れないうちに”幼い人を育てるときの自分”を仮定して、先に戒めることもしておく。
”親”にいちばん重要なのは…信じ、手放すこと!
以上! おやすみ…なぜかフィンランドのヘルシンキから