下着…から関連して、
自分が着用したい、作ってみたい、デザインしたい、会社に入ってみるか?など色々考えながらも
単純にう~んきれい、いい、かわいい
と延々下着を調べる。
オープンクロッチなんて形のショーツ、誰が考えたん?ww天才、いや、みんなわたしなんだった、さすがはわたし
とか思いながら、これになんの興味も湧かない人(自分)とかもいるんだろうな~、わたしも時期によっては間違いなくそうだっただろうしなー、と思う。
エッセンシャルオイルをいろいろな植物を育てて作るところからやりたい
いろんなマッサージを人々にしたい
ナウシカで昔読んだような、植物の沢山生えたサンルームみたいなところで、浴槽を用意して…
ぴったりの素敵なあたらしい服をそんな生まれ変わったみたいなところに用意して、
といっても服ができあがるのには時間がかかるから、調整をしながら
その間、服を用意されている人は、そこで自然に囲まれて、いつでもお風呂に入ったり、畑とかからおいしいものを採って、好きなことをして過ごせる。
発酵食も研究したいから、それも合わせて、もしその人が好きなら、出せるな…
きっと周りには素敵なご近所さんたちがいるんじゃないかと思うから、たのしいだろうな。
そんなことを思い描く。
きっとそういったことが好きな人たちが集まって、わたしの江戸、縄文の暮らし、村計画、いつでも入れる温泉計画なども、そうして叶ってく、 ししし といいな!
そう!
わたしが思ったのは、
いろんなきれいな、セクシーかわいい下着をつけてる人たちを見ながら、「モデルさん」(わたしだって自分を撮って、撮ってもらって、いけいけな気分でそれをインスタなどで公開したならば、それはモデルさんと言えるでしょ!と思うとたのしくなってくる)たちを見ながら思ったのは、
美しいって、
おへその周りに脂肪がついてなくて
胸がいい感じに丸くあって
腰回りやおしりはすっきりしてて
すらっとした二の腕で優雅に佇んでること
じゃないっていうことだった。
美しいっていうのは、湧き出てくるパワーだ、感謝だ、調和だ、
瞳から発せられる、ワクワクしてしょうがない、しあわせ、もっとそうしたい、自分のことをだいすき、世界をだいすき
そんなあらゆる状態だと思う。
つまりそれに年齢(に添えたイメージ)や、体型、今日の予定や明日の予定、今までの家族関係、人間関係、
思ったこと、考えたこと、聞いたこと
な~んも関係ないってことだ。
こないだ図書館で借りた、水谷孝さんの『長年スペインに暮らし 多くの人を救った僕が伝える 幸せの極意10』という本でも、たしか「美人さんがおブスに見えるということも、逆におブスと思っていた人がとても美しく輝いていることも、その人の気分、ありようが変わるだけでいくらでもあった」ということが書いてあった。わたしも思い当たる節がもちろんたくさんある。
美しいっていうのは、かくも不確かで、うつくしいのだなって、わたしにはわたしの美しいがいつも委ねられているんだなって思うと、うれしい。