18/9/2022 三日目
生まれたときから既にあまりにもいろいろなものに取り囲まれている、と感じるのは何も現代だけの話ではないと思う。
私も、あんまり色んなことで世界が溢れてるように感じたので、”とりあえず、言われるがまま定石どおり”の習慣、言説を吸って吐いてして生きた。
しかし、どこかで「なにかちがう」「認知的不協和だ(その概念の名前を知ったのはついここ1年ほどの間だが)」と感じることは、たびたびあった。
なにもない方が驚きかもしれない。そういった意味では自然なことだけれど。
そして、それに「猛然と立ち向かう」というのが生きがいだとしたら、こんなにファイトが湧くこともなかなかないけれど。岡本太郎さんの言葉を借りると。
して、なにに導きたいかというと、このブログを作ったそもそものきっかけの大きな一つが、これなのである。すなわち連綿とつづく夏休みの研究のような、それを「精査」と言って表してくださった先輩がいるのだけれど、そう、そのようなものをここに散らしていきたいのだ。
たとえば、
私は先月シャンプーを使うのをやめた。トリートメントとボディーソープもほぼ同時にやめた。そのはじめの日を今でも感動とともに思い出す。風呂上がりのどこか体にぬめりが残留しているかのような感覚がしなくて、清流で水遊びをした後のような軽やかさで、羽が生えたようだった。
シャンプーをやめるのには一体何日必要か?もしかしてすぐにいやになって、二週間としないうちに元のようにシャンプー生活に戻るんじゃないのか?臭く、かゆくなるだろうか?そう考えて、容易に実行に移せなかった。連日人に会うだったりで、万が一願っていないような状態になったらどうしようと思うと、最初のステップも億劫だった。
しかしなんということはない。個人差はあるのだろうが、わたしは二日あれば湯シャンへ移行できると知った。たまたま私が一回で湯シャンにするのには躊躇いがあったので、間に一回固形石鹸を挟んだから二日というだけで、実際は一回で湯シャンに移行できるかもしれない。
そういった私のTrial、もとい精査…は他にもある。それらの記録や思索の一端をここに置くことでできる、またあらたな生態系のようなものを見つめてみたいのだ。