ここが始まりなのか、こんなところを始まりにしたって、…と思うけれど、どこかを始まりに、しないと、どうにもこうにも困るもんな、と思って、…。
僕が咲いた場所は、どこなんだろう、高いところだったのか、低いところだったのか、宇宙の真ん中だったのか、すみっちょの方だったのか、今でもわからない。僕は何か使命感のようなものがあった。いつからだろう?
そして、それが、色んな疑問や押しつけ…とかみたいなものに【霞んで】、自分で掴めなくなる前に、なんとか、なんとかしないと、というような焦りのようなものを持っていた。
「5才」。いや7才…。それくらいの頃には、消えないようにという【抵抗】(幻想とのひとり相撲だったとしても)も半々くらいになってったような…気がする。
ところで。
本にしても、歌にしても、曲にしても、一皿の料理、友人、一夜限りの最高のパーティにしても、
その人のその一瞬だけの永遠と共振がある。 そうだよね?
だからある一つだったり何十という何かは、心の底から消えないである…。本当は最高と思えなかったパーティや本とかも心の底にちゃんといるんだけどね。
つまり…つまり、答えはつねに、すでに手にしてるってことさ。 君が。私が。
100人がつまらないと思って、なんの感想を抱かなくても、なにか懐かしさや、”自分と同じ真実”を見出す人もあり得る、ということ。
それは往々にして起こることで、木が風に揺れたら木の葉の一枚一枚や枝の一つ一つが揺れ合うように自然なことだ。それで、君が選んだ未来も誰かに及んだように見える影響のようなものも…すべては君の手を離れ、自由にパラレルワールドへ進んでいく。
安心していい。何も悲しいことなんて起こらない。
ここでパラレルワールドについてちょっと触れよう。僕はついこないだまでパラレルワールドについて、少し不安に似た感情を抱いていた。もしもあやまって、”過去”及び”未来”のパラレルワールドへ行っちゃったら、どうしよう!って。 …僕もまだパラレルワールドへの認識が手探りというか、これが正しい!とはどうにも言えないんだけど、今の、僕の、見解でいくと…。
例えば、君が蚊にさされまくったとしよう。
右足だけで5か所、なぜかお尻やかかとまで、夏だからか、さされちゃってる。僕は実際は足の甲までさされてたけど…。
それで、君は歩いてるけど、いかんせんかゆい!かゆい!かゆい。
それで少し止まって右足をかいた。
5回、いや6回。
さて、ここで君が5回かいてから、ちょっと考えてもう一回かいたときとそうでないとき、君はそんなに違う君かな。
違わない。しかし考えてもみて、全てはすごくという言葉を使う必要もないくらい調和してるけど、でも ほんの少しの何かがどんどん違いを生み出しうることを、何となく 知っているでしょう。
そこで私は考えたんだ…。「5回かいた私」と「6回かいた私」。たぶん…そんなにかわんない。でも私は私だ。きっと大丈夫。何か大きな変化をとげていても 私だってわかるし「心底理解」し合える…。
それじゃあ、それぞれの私の友人や家族は?
私はもしまちがって”他のパラレルワールド”に行っちゃったら、「今ここ」にいる私がどうにかなってしまって(それこそ廃人のように)、彼らが悲しむんじゃないかと思った。
そして私は私で全然何だかちがう友人家族に新たに遭遇して、しかも全く同じ元の世界に戻ることは難しいのではないか…と思ってこわかったんだ。
でも、 世界はこわくない。 世界は優しい。
私には無限の決定権があると同時に、無限の反応のさなかに、きっとある。どの私も立派に私なのだ。無限の私という仲間を一挙に得た感覚!
わかるだろうか。なんだか無気力になって、全て見失ったように思えて苦しい自分。こういう風にうまくいったらいいなって考えたのが 今の自分とちょっとちがった自分。
かわいい自分。かっこいい自分。でもどれも自分なんだ。
ほんとのこと言うと、僕はそれをあらゆる存在に対して10代の頃感じていたから、自分というこの個体に限定して話すのは少し変な気もする。
かわいい自分、の近くにいる友人Yはまた悩んだり、私の話を聞いてくれたりしてるのだろうか>生き生きしてるだろうか?
かっこいい自分、が手紙を送る家族は、生きている以上、何かちょっとちがっても、あの人たちなのだろう。 それをありありと心で、いや心身共に理解できたとき、パラレルワールドへの怖れは完全に消えた。 全ては僕の範疇であった。
長いようで自分もちょっと疲れてきたけど、パラレルワールドについてはもう1コある。 それは「今ここ」において 僕たちは絶えずパラレルワールド移行、移動をしているということだ。 君や僕が思っている以上に、これはたぶんもっと奥深く、根深い…なんて言って想像をあおってみた。
でも世界は強い。君と同じで。
悲しい終わりなんてないし、(願えば 悲しい終わり(仮)を味わえるとしても)、救いがないなんて決してない。それは君もどこかで知っているだろう?
これを道教の陰陽魚?に表されてると聞いたときは感心した…。 さすがは僕、天才だ…ってね。
今日はずいぶん語った気がするし、ここまで、短い気もするけど、また明日…。