『タオ・コード』という本では、
「妖精のように、子供のように、あらゆるものと調和して生きる人々」という姿、エデンを
詳細な描写も含め、中国の奥地にわたしは思い描いた。
それは宇宙人(アミ、バシャールやエイブラハムなど)から伝わる言葉から思い描いた、生命体、”高次な”存在達の姿と重なって思えた。
今日は前に気になっていたままだった、『聖なるズー』をやっといくらか読めた。たまたま図書館で見つけた。
はっっとしたのだ笑
前に読んだKさんの『読むだけで「見えない世界」とつながる本』のかんじだと、これはわたしのサポート団が喜んでいるな:)
それでその『聖なるズー』を読んでいてびしびしと、強く感じたのは、
“動物”に惹かれることも、恋を互いにすることも、
その気持ちの一部として性交があり、さらにその性交からとても幸せを感じられることも
ドキドキするほど素敵だということだ。
そしてその自然なあり方はまさしく『タオ・コード』のなかで描かれていた性交のあり方を思い出させた。
実際には「性交」としてそこだけくり抜かれた、やや緊張した一つの行為としてとらえられると言うより、
おしゃべりやおやつ、お昼寝、読書、歌う、ぼーっと風に吹かれる、というようななかの一つとして、
自然にそこに現れるような、
しあわせな じゃれ合いのような、
食事や休息のような…。
正確には『タオ・コード』のなかでは、より尊ばれ、洗練された印象をわたしに与えたけれど、
同じ、似ている点がいくつかある。
一つは、静寂だ。
性器の摩擦を、重視しないというか、はなからそこは注意を向けるところにもなっていないかのような。
『聖なるズー』92ページの、エドヴァルドとオスの犬との性交についての彼の言葉を引用する。
「犬のセックスって、人間と全然違うんだよ。人間はずっと激しく腰を動かすでしょ。でも犬が腰を動かすのは最初だけなんだ。その後は不思議なくらいじっとしているんだよ。そのまま動かないで、何度も射精する。犬は背後から僕のお尻の穴に挿入しているんだけど、完全にリラックスして僕の身体にもたれかかっているんだ。僕の頭のすぐ後ろに犬の頭があって、あたたかくて、それはもう素晴らしい感覚としか言いようがない。なんと言ったらいいかな……、そうだな……、神秘的なんだ」
『聖なるズー』p. 92
これがわたしに『タオ・コード』のなかであった、若い男女の、森林のなかの性交を思い出させた。
「針を限界まで鎮静化させ」た。「異質なエクスタシー」。
エクスタシーとはなんだろう!
わたしはあの頃、10ヶ月ほどの期間で、まるで人生経験の螺旋階段のような
そんな強烈なエクスタシーの連鎖、加速する”奇跡”、輝き、躍動を思い出す。
あれも、きっとエクスタシー。
さあ、今日はもう寝よう。おやすみ。あと、あけましておめでとう!