1/11/2022
昨日、YouTubeでHow to play acoustic などと検索して、押し入れに押し入れられていた、アコギをはじめて誰かに教わりながら弾いた。
英語で、「このように右足にこの窪み、湾曲しているところを乗せてだね…上からネック(左手で弦を押さえるところ)の側面を見たらところどころに点々があるだろう…」と説明されているのを聴きながら、はじめて「ほんとうだ」と、それまであったのに見えてなかった黒点がちょんちょんと、道しるべみたいにいることに気づいたりした。
そのあと二つの簡単なコード(2本の弦を押さえてじゃーんと弾くだけの単純なもの)を教わって、それをじゃかじゃか弾いた。
思えばピアノもお箏も、アコギも弦楽器だ。
どことなく似ている。
たとえば、お箏でたしか、弦を軽く左手で触れながら右手ではじくと、一オクターブ音が上がる、というようなものがあったようななかったようなのを、今日またアコギを触りながら思い出していた。
箏。
箏…。
小さいとき、納戸の入ってすぐの壁にもたれかかっていた、あのお箏…。上から赤いきれいな和柄の布がかかっていて、自分よりずっと背が高くて、重そうで、精巧そうで、大事そうで、おそるおそる、まちがっても倒さないように気を付けないといけなかった。でもそっと弦を触ってみると、全身がびりびりするような、きれいな音がしたから、きっと家宝の一つかなにかだろう、と思った。神聖。という言葉が似合った。
高校で入った筝曲部を引退するときに、部に寄贈してから、箏に触ることはなくなってしまったけれど、折につけ、あの感覚を少しずつ思い出す。また触りたいな、と思えることは、よくもなくわるくもなく、でもありがとうと思う。