七か月の旅から実家に帰って、一週間が経つ。
たくさんぎゃん泣きしたりほろほろ泣いたり、図書館で久しぶりにたくさん本を見つけたり借りたり、
初めて小説をpixivに投稿したり、おそらく初めてのアロマオイルマッサージをしてもらったり、
久しぶりに行きたかった中華街に行ったり、…
たった一週間でも、旅をしていなくても、やはりなんと発見が多く、たのしく、ありがたい日々だろうと思う。
エイブラハムのCDを聴き始めたり、見た夢を書き留める夢日記を書き始めたり、
もう20年近く住んでいるこの家でも、わたしは変わっていく、
一瞬として同じだったことはない。
わたしは変われる。
わたしは変われる
っていう言葉に、とても強いパワーや、炎が沸き上がってくるような希望の潜在を感じる。
昨日は久しぶりに下着を買ったけれど、買ってほんとうによかった。
去年二枚買って、この一年ちょっとでずっと着ていたゆったりした綿が多くを占める素材のブラは、
冬のオーストラリア、夏のベトナム、夏のジョージア、秋のバルト諸国、フィンランド、フランス、スペイン、そして冬になりかけのイギリス。
ずっと着ていたために、もう背中側の生地が伸びて薄くなってしまっていて、なんとも安定が悪かったのだ。
そうして昨日久しぶりにチャレンジした、かわいい下着屋さんでは、
今までろくにいいワイヤー入りブラに出会わず、ワイヤー入りブラジャーは窮屈で気持ちが悪い物と思っていたこともあって、とくにここ数年はワイヤー入りブラをほとんどまったく着ていなかったということを話すと、
同い年かそれより若いくらいに見える担当してくれた女の子は、口には出さずとも、
これはいかん、と言わんばかりに
六枚くらい、わたしが選んだデザインのワイヤー入りブラの試着を懸命に勧めてくれた。
まだワイヤー入りブラを決めるのには時間をかけたい、というかそれを買う気ではなかったわたしは、
ナイトブラ(ほぼ一日中着るつもり)を優先で、と伝えたが、
どうにもワイヤー入りブラを数枚、常備していてくれ、というかのような凄みを少し感じた。
そんなに要るかな?という風なことを聞いたら、これ以上悪化させないためにも…と言いずらそうだがワイヤー入りブラの必要性をわたしに滲ませた。
悪化て笑 でもワイヤー入りブラ、とか下着について改めて考え直すいいきっかけになった。
そもそも千変万化する、一つとして同じでない一人一人の體に合わせた服でさえなかなか大量生産されたり、「だれか」のためにつくられた市販品では、これというものをこんなにも見つけられないのに、
それが下着であった場合、どうだろう?
どうだろう、というのは、漠然と、どうすりゃいいんだろうなぁ、ということだ笑
やはり思い浮かぶのは、自分でその都度下着を作る、もしくは一家に一人、ご近所に一人、そういうのを仕立てるのが好きで得意な人がいてくれているというパターンだろうな。
もしくは下着をつけないか。
下着なんて、小さかった頃は、着けることのほうが気持ち悪かったのに、
今では着けないことの方が抵抗を感じるってのは、どういうこったいと思うがね、あらためて考えると笑
わたしはタートルネックなんて苦手な服の筆頭だったのに、10年前くらいからだろうか、すっかりお気に入りになって久しい。
わたしはそんな、いろんな人たちの素敵を引き出して、その人が思ってもみなかったような素敵な、似合う服、心地のいい服を時間をかけてでも、ちょっとずつ、ゆっくり、しっかり、作って、届けられるようなテイラーになりたいな…。
綿花を育てたり、機織りをしたり、麻を育てたり、というのも素敵だな。
などと考えていると、近頃やりたいとよく考えている編み物、毛糸のことに思い至る。
羊、牛、ヤギ、…日本にはそれらの動物はあまり自然に多くはいなかったのではないだろうかと思うのだ。調べたりしてないけど。
だから、動物の毛皮を使うことこそあれ、毛糸でどうこう、というのは、平地、草原が多くあり、そういった羊毛などを手に入れやすかった土地の人々がやっていたこと…だろうかな、と。
だから日本で編み物をするのは自然でない、やめやめ、というのはなんだかつまらないし、べつにそういうことではないと思う。だからあいかわらずわたしは編み物もしたいし、ボビンレースなども作ってみたい。
だってとっても輝いているから!かわいいから!ふわふわだから!素敵だから!
昨日行った、神戸の元町近くに新しくできた毛糸屋さん、miconoというところに偶然見かけて入ったけれど、
とてもよかった!とてもたくさんのふわふわした毛糸を触らせてもらって、毛糸を玉にする作業を見たり、
いろ~~んな説明をしてもらって、まだまだ始めようとしている状態のわたしの編み物についてたくさんのアドバイスを下さった。
編み物の道具も、毛糸も、ゆっくり試しに編んで試すことができる空間、というその優しい発想に、わたしはそれだけで刺激を受けて、幸せな気持ちになった。なんて素敵なことだろう!
そして互いに帰国したり、開店したりしたばかりのわたしたちが出会った、このクルクル回る完璧な世界のリズム!
久しぶりに歩いた三ノ宮の町は、変わってないところも多いけど、変わったところ(と認識しちゃうところ)も沢山あった。
p.s. わたしは自分を「華奢な女の子」なんて定義していたが、わたしの體はどうやら思っていたより、でかい。
そしてそれは、わたしが願った、強さ、モデル、体術、ダンス、などの理想、イメージに付随した、いわば理想の姿の表出、一端、意識の塗り替わりのトリガーで、それは驚くべきわくわくをも与えてくれたと言える。