28/10/2022
前回のcomeTrial diaryを書いてからこれを書くのに、5、6日かかっている。
これを書くために整うのに、その日数がかかっていることに自然だと納得もしている一方、一度書き始めると止めがたく、長くなってしまう傾向があるから、一回気楽に開いて綴ることから遠のいていることを残念に感じていた。
自分で自分の、いつもと書く口調が違うように感じているのだけれど、その理由は、ヤマザキマリさんの『ムスコ物語』を読んだところだからである。はず。
ヤマザキマリさんのマンガが好きで、大学での専攻もイタリア語ということもあり、自然とヤマザキマリさんの文章も好んで読むのである。しかしこの一冊で、それまで断片的にしか捉えられていなかった、マリさんの色々な経緯というのを見た…。
(あまり生涯をストーリー仕様に考えたくないと思っているけれど、やはり因果関係、過去、つながり、というものは否定できない)
しかし、いままではそこまで感じたことはなかったのだが、今回この書を読んではじめて、マリさんの文章を生み出しているマリさんの「世界」「価値観」のようなものと、己のそれらのずれが、「興味深く、自身を触発するもの」もあれば、それが続いたこともあってか、「アクが強く少し疲れる」ようにだんだん感じるようになっていった。
というのも、この書は、生身の人間の生身の人間による切断図…つまり文そのものが、悔しさ、疲れ、喜び、困惑、そういったもので満ち満ちている、血肉そのもののようにも感じられるものだから、そういった意味では、当然の反応…。
きっと、価値観、としては、デルスさんの方が、わたしには近いんだろうな、と思いながら7割ほど夢中で読み進めたあと、先に最後のデルスさんによる文章を読んだ。
大げさな言葉しか見つからなかったけれど、わたしにとってその最後の文章は、痛快、腑に落ちる、新鮮でいて懐かしい、ものだった。
本当はうらやましい、なんて少し思いながら、デルスさんの転々とした「幼少期」をマリさん視点で見ていた者として、それがやはり勝手で安易な見方だったとわかった。それに、私自身7歳のときに、神戸から東京、という国内であったにも関わらず感じていた、引っ越しへの不安や反発というものを、やっと久しぶりに思いだした。
忘れていた…。どんないやなことや理不尽、苦悩であっても、とくに幼い時のそれこそ、忘れたくないと願い続けているのに、思い出すきっかけも必要もないままに遠のいていく…。それをなんとなく10になる前、なった後も覚悟していたし、そうであろう今の{おとな}たちにも、大目に見てあげなくてはいけない、と思っていたけれど、いま自分がそうやって、固く色濃い一葉になって、まだやわらかくふにゃふにゃと色素も薄い、いろんな事に心身ともにショックを受けやすい若芽の感じる繊細すぎて声も出せない、涙がいっぱい満ちているのに泣くに泣けないような気持ちに、気づかなくなっているのではないか。そう思うとイヤケがさす。でも…そのプロセスを見ながら、かえって、それを失う、失ったかのような人たちへの身からの共感を培えているようにも感じると、それもまた受け入れられる。
とはいえ、はやくここから出て、幼子も老人もだれもなにも共存するところへ行き、帰りたいと思うのが、一番のこれに関する願いなのだ。
☼ ☼ ☼ ☼ ☼
この6日ほどの間に、玄米でクレープを作る比較検証をしたり、エルダーフラワーという花の乾燥したもののコーディアルを作ったり、柿の天然酵母を作ったけれど、どうにもいやな臭いになって、捨ててしまったり、はちみつレモンになっていたレモンをマーマレードにリメイクしたり、いろいろなことをした。 とくにエルダーフラワーの香りはとてもよかった、のだけど、コーディアルにしたら香りがあまりわからなくなった気もする…また様子を見る。それから出がらしになったであろうエルダーフラワーのふやけたものを、もてあまされていたホワイトビネガーに漬けて、香りを移せるか試すことにした。トリートメント替わりの米酢から学んだ経験により、常温でしばらく様子をみる。
それにしても、レモンとドライエルダーフラワーを、天然酵母を作るときのように、瓶に水を入れて常温で二日ほど置くというので、さては少し泡が出たり、濁ったり、酵母の働きを見れるかとわくわくしていたが、結局柿や梨のときのような泡は出なかった。香りはずっと素晴らしかったが、三日目の朝に案の定少しやりすぎたらしく、うっすらと表面に白い羽毛のようなカビが見えた。だんだんと、カビや気温、細菌のようなものについての感覚がわかってきた。ような気がする。
どんぐりを水に漬けたら浮いて、しかもそこからどうやら虫が出てきたらしかったりということもあった。 ほんとうに、いろいろあったようにも感じる。その一方で、遠出をした(大学へ行った)のは一度だけだし、予定はほぼない。なにもとくになかった、とも言える。これにヘンに普遍性を一瞬感じた。
やはり、ただただこういった日記を書くことは、たのしい。
16/2/2023 追記
4、5カ月前だけど私自身がこれを「アクの強い」文だと感じた